笹離宮

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笹離宮の見どころ

外露地 表看板 正門と塀 内露地
―「笹離宮」表看板
「笹離宮」表看板

正門の左手前に立つ、数寄屋建築の要素をふんだんに取り込んだ看板です。屋根は柔らかな曲線を描き、軒下には蛇腹(木端を細かく並べて蛇腹とした装飾)を施すなど、大変手の込んだ造りになっています。これは、内部茶室その他の建築を行った「清塾」が手掛けたものです。
「笹離宮」の題字は一般財団法人蓼科笹類植物園会長大泉美江子によるものです。

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―正門と塀
正門と塀

日本古来の竹(マダケ)を使い、伝統的な木賊(とくさ)張りの技法で表現した正門と塀で、釘一本に至るまで古法を用いています。入り口は左右桧の丸柱が支柱となり、両引き戸の品格ある門からお客様をお迎えするようになっています。桂離宮の美意識に学びながらも正面左右の丸柱の位置を心持控えた笹離宮ならではの意匠となっています。先人の知恵に畏敬の念を持った気遣いが感じられる門です。

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―外露地

正門を入るとそこは笹離宮の外露地です。一歩目に踏む大石は京都から取り寄せた鞍馬石で、一部が薄く剥げた「鬼皮(おにがわ)」。数寄屋では珍重される石です。数寄屋庭園は禅宗の影響を強く受けた宇宙観を基本に設計がされていると言われます。一方、見る者に「行」を求め、見る者の観察眼、美的感性を求めます。庭園に入り、足を一歩一歩踏む出すことによって、様々な展開があるように設計されています。西洋の代表的宮殿の庭園のように、特異点を中心に庭園の何処にいても全体を理解できる庭園設計とは全く逆の設計思想になっています。拡大の美の西洋建築とは逆の凝縮の世界を体感できるようになっています。

  • 外露地
  • 外露地
瀧口(たきぐち)

正門から鞍馬石を踏んで外露地に入ると、水の音が耳に入ってきますが、周囲は高い竹垣のために何の音か確かめることはできません。うねった径と石を踏みながら進むと、右に視界が開け、そこに清流がほとばしる滝口を見ることができます。ふたたび向き直り前を向くと、視界が開けて手前の梅見門(中門)の向こうに内露地が見え、その奥には茶室「箬庵(じゃくあん)」を望むことができます。足元には鍵型の大きな踏み石「鎌石(かまいし)」を見ることができます。「鎌石」は天然の造形で、これも数寄屋で好まれる石のひとつです。川は青い龍である「清瀧(せいりゅう)」に例えられ、瀧口はこの清瀧の頭(龍頭)にたとえられます。

展示館「清風萬里館(せいふうばんりかん)」
展示館「清風萬里館(せいふうばんりかん)」

瀧口を後にして、梅見門に向かう沿路をそれて左に入ると、箬竹(じゃくちく・オオバヤダケ)を左に備えた「清風萬里館」が見えてきます。この館は入園受付、事務所、売店、大広間、方丈の間を備えた建物で、「方丈の広さを基とした和風の山荘」をコンセプトに故安井清氏の基本設計を基に建てられました。生前、安井清氏が遺した「日本の山々にある広葉樹を使った和風の山荘」というスケッチを基に、磯崎進ら弟子の集団清塾生によって建設されました。

名称の由来
残暑が去って、秋の訪れを知らせるように清々しい風があたりを吹き抜けていく。あたかも、悟りを開いた瞬間、澄み渡る秋風のように目の前がかつ然と開け、清らかな境涯がどこまでも広がる。それは、萬法一如、一心同体、絶対平等の静謐(せいひつ)な世界を表しています。
扁額(へんがく)
命名は東京大学名誉教授横山正氏によるもので、扁額の書は清塾代表磯崎進氏(磯崎工務店代表・蓼科笹類植物園評議委員)によるものです。
構成
全体は「和風の山荘」という設計コンセプトで建てられています。故安井清氏が生前、「日本の山荘建築は、ほとんどが洋風だが、日本の風土、特に日本の森には日本の広葉樹を使った和風の山荘が似合う」といわれ、清風萬里館の建築基本コンセプトとしました。「方丈の間」を基本として、売店を兼ねた「木立の間」、「大広間」、受付を兼ねた事務所と展開しています。
  • 大広間

    1.大広間 太い梁を積極的に見せた構造で、構造力学的な美しさを演出しています。梁は上下二段あり、上段の梁は荷重を下段の梁に分散するための構造です。

  • 手水(ちょうず)

    2.手水(ちょうず) 大広間右奥にある手水は陶芸家藤村元太氏(兵庫県秋津 東条秋津窯)による、笹灰釉の大型の水盤です。登り窯で丹念に焼き上げた特製のものです。笹の灰釉の暖かい色と風合いが特徴です。

  • 軒下

    3.軒下 冬の厳しい気候に合わせて、軒は深めに設計しており、それを支えているのが全て広葉樹の曲がり木で、和風の山荘の雰囲気を演出しています。

  • 木立の間(売店)

    4.木立の間(売店) 広葉樹を中心にねずみもち・はんの木・みずの木・ニセアカシアなどのほかに、赤松、竹など周辺の森にある木々を積極的に使った造りで、部屋に居ながらにして、森の中にいる雰囲気が味わえます。

  • 方丈の間

    5.方丈の間 方丈とは京間の一間四方の間のことです。故安井清氏は、方丈の間での話し合いは、座すと人と人との間合いがほど良く、近からず遠からずのそれぞれが最適な距離を置いて、最適な空間にあるので、いろいろな話し合いが不思議と上手くいく空間として、方丈の間を大事にし、建物の中心に据えた設計を行っています。

竹の径(こみち)

清風萬里館を出て再び外露地の左の際を歩くと、そこはキンジョウギョクチクの径です。この竹垣に沿って歩くと、もとの梅見門へと続く延段(のべだん)に辿りつきます。

あられ零し(こぼし)の延段
あられ零し(こぼし)の延段

笹離宮の見どころの一つが様々な意匠を凝らした飛び石の面白さです。外露地にある梅見門(中門)前の延段は「あられ零(こぼ)し」と呼ばれる意匠で、小石をランダムに散りばめたものですが、「サイコロの四の眼」「T字」などいくつかの禁じ手があり、小石一つ一つの面の出し方、石の大きさ、石の向きなどを興梠して美しい延段にするために、半日で数十cmほどしか仕上げられないともいわれます。

梅見門(中門)
梅見門(中門)

清風萬里館の外露地と箬庵の内露地の間に位置し,南面して建っています。書院造の門を更にお茶好みに簡素化した草庵露地の為の門で梅見門と云います。中門とも云い、いよいよお迎えの茶棟へ入る前に設ける儀式の門です。杉皮葺、切妻造の腕木門で、柱は丸太を用い、竹格子戸を両開きとしています。柱には「枝打ち」の痕が意匠として残されていますが、これは手斧(ちょうな)で枝を上下から払った痕を模して、彫刻刀で一つ一つ彫り上げたものです。

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―内露地

梅見門を通ると、そこからは内露地です。右手には大和生物研究所の工場副産物である笹の搾りかす(ササソフト)を土に返す実験をするための圃場ですが、農村風景の借景ともいえ、一つの見どころにもなっています。左手には待合「翠陰(すいいん)」を、正面に茶室「箬庵(じゃくあん)」を望みます。

内露地の延段(沿路)
内露地の延段(沿路)

梅見門を過ぎると延段の意匠も変化を見せ、ランダムに並べられた「草(そう)」の意匠の延段の側面に、わずかに規則性が伺えるようになります。さらに進むと、その先は左右に平石を配し、丸石と組み合わせたものへと変わり、「行(ぎょう)」の延段の意匠になります。

灯篭(とうろう)
灯篭(とうろう)

笹離宮には故安井清氏収集による灯篭が全部で11基、内露地と植物園エリアを中心に置かれています。この11基の灯篭は全て別々の意匠になっています。それぞれ、織部燈籠・蛍燈籠・舟着型燈籠・六角生込燈籠・岬風生込燈籠・創作六角生込燈籠・丸生込燈籠(格子付)・雪見燈籠・三光燈籠・寸松庵燈籠・岬燈籠。

州浜(すはま)
州浜(すはま)

待合の前の内露地は、一面のオロシマチクによって、湖の水面(琵琶湖)が表現されています。その水面に延びる州浜は白い斑(ふ)が入ったチゴザサで表され、州浜の先端には岬灯篭が置かれています。笹での意匠表現は笹離宮ならではの美しさです。数寄屋で良く使われる「見立て」の一つです。

舟石(ふないし)

待合「翠陰」の手前には舟形をした石の蹲が置かれています。内露地のオロシマチクによる湖の見立てと、チゴザサの州浜による「水」のイメージが、この舟石の「舟」のイメージに重なります。更に向こうに見える枯山水をより鮮明に浮かび上がらせます。

待合「翠陰(すいいん)」
待合「翠陰(すいいん)」

茶棟に入る前に衣装等を整えて待つところで「用足し」の場所を設けてあります。近代的な中に小堀遠州公の意匠を取り入れています。中央部が二基の腰掛を向い合せて配した待合で、両袖が男女と障碍者用の手洗になっています。待合いの奥は障子張りの明り取りになっていますが、夕日が射すと外に植えてあるハチクのシルエットが揺らぐように映ります。

扁額(へんがく)
天子の旗は翠羽で飾り「翠華」といい、白居易(はくきょい)は『翠華揺揺として行き復(ま)た止む』と長恨歌(ちょうごんか)」にうたっています。「翠陰」とは「清らかな緑の陰(かげ)」というほどの意味です。
清風動脩竹(せいふうしゅうちくをうごかす)
「脩竹」とは細長い竹のことです。一陣の清風が、涼しげな竹林の間を吹き抜けることによって、なお一層、さわやかな境地を現出させるのです。「君主たるものは、機を見て敏に動かなければならない。しかし事が過ぎたあとは、また何事も無かったがごとく、またそこに真直ぐ立っていなければならない」という意も含まれるともいわれます。
大扁壺「波の形」
細かく波立つ水面に映った満月を切り取って作品に写したというデザインコンセプトで、障子窓の上段の縁の緩やかなカーブと相乗して、柔らかな美しさを演出しています。
関帝詩竹掛け軸
「三国志」の英雄関羽が、主君劉備に宛てて出した、竹の葉に意を隠したとされる手紙を写した石碑(中国西安市の碑林博物館)の拓本。敵の曹操の元に身を寄せていた関羽が、劉備の存命を知り出したとされる密書です。
網代(あじろ)天井
トイレの内装は檜と杉の無垢板を主材として作られていますが、天井は真竹の木賊(とくさ)張り、手洗の天井はサワラの木の枌板(へぎいた)を網代に組んだものです。手洗いの板は男子の方が栗の一枚板、女子の方が桧の一枚板です。
簾(すだれ)
待合の軒には短い簾が掛かっていますが、これは余分な視界を遮り、笹離宮の美的要素に視点を向かせるための工夫の一つです。
四方竹(しほうちく)
中央の待合入り口の上桟に、横に一本掛けられた竹竿は四方竹です。自然の状態で四角く育つ珍しい竹で、節には鋭い棘があるのが特徴です。魔を除け、邪を祓う力があるとされ、待合の客人を守る意味があります。武家の鬼門に植えたともいわれます。
枯山水(かれさんすい)
枯山水(かれさんすい)

枯山水は、白砂の上に大小の自然石を立てたり、据えたり、組み合わせることで、ひとつの観念的世界を創造します。 それは山の峰や、滝が走る渓谷、大河やせせらぎ、ひっそりと静まりかえった海、大海に浮かぶ島々まで、さまざまな風景を表現しているとされます。またそれは仏教世界観や宇宙観であったりします。 これは、自然と向き合い、自らの存在と一体化することで、無でなければならない自身を見出す境地に立とうとするものです。

「真」の延段
「真」の延段

待合を出て「真黒石」の沿路をもどり、茶室「箬庵」に向かう沿路を辿ると、そこは「真(しん)」の延べ段である。外露地から梅見門を抜けて待合に続く「草(そう)」と「行(ぎょう)」の意匠に続き茶室に直接つながる沿路は「真」の意匠となります。沿路の意匠の「真」「行」「草」は漢字の「楷書」「行書」「草書」に対応し、「真」が最も格式が高く整った形です。板状の石を敷き詰めたものです。「草」は「あられ零し」のように形に囚われず自由に崩した風雅な形です。「行」は「真」と「草」の意匠を組み合わせた中間の意匠です。

漢竹(かわたけ)と呉竹(くれたけ)
漢竹(かわたけ)と呉竹(くれたけ)

茶室「箬庵」につながる「真」の延べ段の左に、柵に囲まれて「漢竹」、右に「呉竹」が立てられています。京都御所の清涼殿にも見ることができ、笹離宮には雅な御所文化も取り入れられています。

茶棟「箬庵(じゃくあん)」
茶棟「箬庵(じゃくあん)」

笹離宮の中心をなす建物で、様々な意趣が盛り込まれ、非常に緻密な作り込みがされた笹離宮の代表建築です。

構成
全体は立礼の茶室です。椅子式で自由にそれぞれの位置で異なった庭の景色を眺めて茶を楽しみ語らう茶棟です。正面左側の方丈の間は卍型に腰掛を配した主なる室で,正面右側の従なる部屋(正室の1.5倍程の広さ)もやはり卍型に腰かけを配しており、主なる室と従なる室の中央に水屋を設けた設計となっています。流派を問わず全ての方々がお茶を楽しめるような設計となっています。
下地窓(したじまど)
「箬庵」の外観上特徴的なものの一つは、正面の大きな下地窓です。茶室でありながら閉鎖的にならず、蓼科の自然を積極的に取り込む意匠で、抜けの良さが目を引きます。
扁額(へんがく)
「箬」とは漢字で「笹」の意です。また「篛(じゃく)」とも表されます。「竹」の「若い」もの、「弱い」ものという意味で「笹」を意味する中国の文字です。「笹」という字は中国にはない日本で生まれた「国字」であり、この「笹」が使われる前は日本では「小竹」と書いて「ささ」と読ませました。
正室
方丈の三方に開口した卍字型腰掛を有する庵で、主に白無垢の北山杉を柱、垂木などに多用した造りになっています。方丈とは京間の四畳半の空間のことで、人が話し合うための最適の空間であるとされます。腰掛が卍に配されているのは、高貴な方々は正面に対峙して腰かけて、視線がぶつかることを好まないための配慮とされ、皇室ゆかりの庭園の四阿(あずまや)などにもこの意匠が取り入れられています。
短冊
短冊「箬」の書は京都臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の塔頭寺院「宝厳院」田原義宣住職によるものです。
従室
水屋を挟んで主室と対におかれた茶室ですが、主室が北山杉を中心に使われたのに対して、従室ではあて丸太(錆丸太(さびまるた))が柱や垂木などに多用されています。「錆丸太」とは、表面は黒色・白色そしてたまに少し赤色が混じりあった、独特の風合いをもった檜の丸太材です。手間のかかったもので、茶室などの詫び寂びの演出に好まれて使われます。
簾・暖簾・毛氈
「箬庵」は季節や状況に合わせて、簾、暖簾、毛氈などを整えます。毛氈は正式には紺色のものを使います。暖簾は紺と白のコントラストが美しいもので、最上客をお迎えするときのみに掛けられるものです。
額縁
茶室「箬庵」の四方の「額縁」を通して見える景色にはそれぞれの意味が隠されています。庭の景色を「箬庵」という「額縁」を通してみることで、その美を強調してみることができます。四神(しじん)は、天の四方の方角を司る霊獣で、朱雀(すざく)、青竜(せいりゅう)白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)の四獣(しじゅう)です。
点茶台「八峯卓(はっぽうたく)」
立礼の茶会に必須なのが点茶台(てんちゃだい)ですが、通常は漆塗りの台などが使われることが多いようです。「八峯卓」は、畳の上で点前をする様に笹離宮のために故安井清氏と石州流彦根一会流家元が共同で創作したもので、彦根一会流と笹離宮にのみ存在します。
石州流(せきしゅうりゅう)
石州流の「石州」とは、流祖の片桐石見守貞昌(石見の国=石州)に由来するとされます。世襲による厳密な伝承はなく「石州の茶の湯の形」を受継ぐ者達の流派というゆるやかな枠組みといわれます。その茶の湯は、利休・道安の流れをくむ禅味をおびたもので、武家流の流儀として現在まで続いています。片桐石州は寛永年間、小堀遠州の跡を継いで将軍家綱に献茶を果たし「将軍家茶道師範」となりました。
雲上型デッキ
雲上型デッキ

茶室と植物園エリアの境界にあるのが二段になった「雲上型デッキ」です。茶室の主室からは少し高い踏み石が雲上型デッキの上段に、従室からは少し低い踏み石が雲上デッキの下段に伸びています。高貴な方々が見えた場合は、上段を主室の高貴な方が、下段を従者が使うように造られています。

大降り蹲(おりつくばい)「随月泉(ずいげつせん)」
大降り蹲(おりつくばい)「随月泉(ずいげつせん)」

降り蹲は地面を一段掘ったところに蹲を置くことで、そこから見上げて広く庭園を見る視点を与えた、小堀遠州公の作庭工法です。「随月泉」は世界最大の降り蹲であり、中心には蹲に見立てて、大きな水盤が据えられています。この水盤は約300年ほど前に、九州で臼として使われたものを天地を逆にして、水盤に加工したものです。

板倉「神坐(かみくら)」
板倉「神坐(かみくら)」

京都大山崎にある酒解神社(さかとけじんじゃ)にある神輿蔵である鎌倉時代建立(国重要文化財)の校倉造(あぜくらづくり)の要素を取り込んだ板倉です。校倉造とは、柱を井桁に組み上げる工法で、丸太、角材、三角材などが使われます。丸太を校倉に組んだものの代表的なものはログハウスです。三角の材を井桁に組んだもので有名なのが、正倉院です。

窖(あなぐら)「縄文窠(じょうもんか)」
窖(あなぐら)「縄文窠(じょうもんか)」

茅野市泉野に現存する窖(あなぐら)は、縄文時代の竪穴式住居を今に伝える実用建築で、大変貴重な文化財です。地面を半地下に掘り、地面から直接立ち上がった葺き屋根の構造は、まさに竪穴式住居そのものです。現存するものは、ススキ、葦、藁などによる葺き屋根ですが、笹が豊富な山岳地帯においては、「笹葺き屋根であった可能性が高い」という仮説のもとに、笹葺き屋根による窖再建プロジェクトがスタートし、平成26年11月に完成しました。床面積は約20㎡(十二畳)で中心に長方形の囲炉裏を備えています。屋根は4tトラック(ハイルーフ)5台分の笹葉(茎/稈付き)もの笹で葺かれています。床下には笹の稈(茎)を炭に焼いた「笹炭」が敷き詰められ、笹葉による屋根材と相まって清浄な空間を演出しています。さらに屋根の最上部には笹の苗を植え込み、冠水して青い葉が常に茂るようなデザインになっている。通気性が非常に良く、かつ断熱効果が高いために夏は大変に涼しいにも関わらず、真冬にも囲炉裏に火を入れれば、煙は事前に屋根から抜け、新鮮な空気は人が座った肩口から入り、囲炉裏の上昇気流に乗って吹き上がるため、寒さを全く感じることはありません。